危険タックル問題で話題のアメフト。
そのアメフトを私もやっていました、という話の今回こそが本当の完結編です。
(「小学生編」、「麻布中学編」、「麻布高校編・上巻」、「麻布高校編・下巻」もご一読頂ければ幸いです)
アメフト部のOBになれなかったボクは、意地でも東大に受かってやる、と覚悟を決めました。
途中退部して遊んでたんだから勉強もしてなきゃダメじゃん。
(遊びと勉強とスポーツの3立は無理でも、そのうち2つの両立はできる。それが麻布だ。)
この「思い出の試合」を胸に猛勉強しました。
1浪して、東大に忍び込みました。(まぐれでしょうね)
1留して、TBSに潜り込みました。(91年入社はバブル入社組)
わずか7年でTBSを退職して30代前半でいちど主夫になりました。
その2年後の99年、アメフト部同期のキャプテンで、高校卒業後に渡米していた明瀬羊一が10数年ぶりに帰国しました。
(上の写真で白のユニフォーム左から2番目)
「キャッチボールしようよ(もちろんアメフトの)」
私の自宅に電話をかけてきた明瀬はそう言いました。
近所の公園で、楕円のボールが私と明瀬の間を行ったり来たり。
明瀬「これから世の中はインターネットで映画が見られるようになるよ」
私「へえ、そうなんだ(ぜんぜん興味なし)」
明瀬「一緒にやろうよ」
私「やんないよ(即答)」
それから1年後、私は動画配信のベンチャー企業「株式会社QB」の社長、明瀬は会長になっていました。
社名の「QB」はもちろんアメフトの司令塔のQBからきてますが、高品質なネット環境を思わせる「クォリティ・ブロードバンド」の略だということにしました。
(その辺りの流れは「プロフィール」にもちょこっと載せています)
世の中にはもっとすごく波瀾万丈な人生を送った人が山ほどいるので、私などは別にどうっつうことないのですが、おかげで、数億円の資金調達をしたり、精神病院に入ったりと、珍しい経験をさせてもらいました。
形を変えつつしつこく続けたこの動画配信事業も2011年についに終了。
ちょうどその頃、今度はアメフト部同期の副キャプテンから「手伝って欲しい」と頼まれました。
(上の写真で真ん中辺りにいる87番)
アメフトのチームメイトの頼みを断れない私は、彼が主宰するヨガ教室の経営をすることになりました。
彼はチームメイトであり、また私の親友でした。
一生の中で一人挙げろと言われれば迷わず彼を挙げます。(いまでも)
ヨガ教室を手伝い始めて1年も経たないうちに、彼は自ら死にました。
それから何年も、私は麻布アメフト部から遠ざかりました。
彼を思い出したくなかったからです。
でも、毎日(のように)彼を思い出します。(いまでも)
毎月(のように)夢に出てきます。(毎回、彼は同じ様子です)
夢に出る。
これが、5章にわたって続いた「アメフトの話」のエンディングです。
親友は死んでから夢に出てきましたが、アメフトはずっと夢に出続けていました。
アメフトの夢は20代の頃から、毎月(のように)に見ていました。
基本的なストーリーは常に変わらず「私がもう一度アメフトをする」というものです。
悪夢とは言いませんが、決して気持ちのよい夢ではありません。
アメフト、やっていいの?
ほんとにやらせてもらえるの?
やめてしまったことがいつまでも罪悪感として残っていました。
目が覚めて思います。
あー、また見ちゃったな、同じ夢。
どんだけ、アメフトやりたいんだか、おれ。。。
NHK-BSのNFL中継を見るのではダメなんです。
防具を着けてグランドに立ってプレーしないとダメなんです。
でも、そんなことできるわけがありません。
もともと運動不足だったし、鬱病にもなったし。
だるいし、めんどくさいし、すぐ疲れるし、からだ固いし、走れないし、、、
親友が死んじゃったし。
40代後半だし。
ってことは、アメフトの夢、一生見続けるんだろうな。
そう思っていたのが2012年頃です。
ところがです。
ちょうどその頃、私はいつのまにか「自由体操」をしていました。
2013年には体調がよくなっているのは「自由体操」のせいだと気づきました。
それから、調べ、試し、確かめ、確信を持つに至りました。
その後もずっと(「続けよう」とは思わずに)自由体操を心がけて、肉体は少しずつ、でも、着実に元通りになっていきました。
そう、元通りです。
麻布高校アメフト部で活躍(?)した頃、つまり高校1,2年とは言いませんが、大学時代よりは体が動く感じがします。
ってことは、高3くらい!?
自由体操の第1の効果はからだが少しやわらかくなることです。
(アンチエイジングの基本はそこにあります)
私は鬱病になったとき、体がガチガチに固まってしまいました。
肉体の柔軟性と精神の柔軟性はリンクしています。
私は肉体の柔軟性を取り戻すうちに、親友の死のショックからも立ち直ってきました。
このままずっとアメフトから遠ざかっていてもなにもいいことはない。
2016年、私は現役の秋季大会を応援しに行きました。
久しぶりにお目にかかった渡邉さん(上の写真で一番左)は昔と変わらず、
「おお、佐野、、、」
それ以来、たまに現役の練習を見に行って、たまに練習に参加させてもらって、たまに現役(ラインメン)よりは早く走れたりして、、、
そのうち、OB会の事務局からお声掛け頂き、定例会に参加させて頂くようになり、昨年の冬のOB対現役の試合では、とうとう防具を着けてグランドに立ってプレーてしまいました。
なんと、QBはあの頃と同じ渡邉さん。
生きていればこういう日も来るのに。
自由体操をすれば元気になって高校生のようにスポーツができる。
5章を通してお伝えしたかったのは、結局、
自由体操はいいですよ
という宣伝でした。
最後までお読み頂きありがとうございました。
あの夢はもう見ません。
自分で自由に体を動かす人がひとり増えれば、日本がひとりぶん元気になります。
2020ならまだ充分に間に合います。
自由体操で動かしましょう。