自由体操~人生100年時代の今日「始めない」すごい健康法

心がけるだけでだるさも痛みも運動不足もぜんぶ解消

頭の自由体操「人生の差法」③ ~ リフレッシュは「ふつうしない」ことを「する」

ヨガも太極拳も「ふつう」じゃない動きをする

「差法」も、「マインドフルネス」や「ネーミング法」と同じように目の前の対象に注意を向けます。
その次にすることは「思考をずらす」。
その意味は「無意味なことを考える」です。
なんか変です。
「無意味」を「考える」は矛盾しています。
意味あることは考えられますが、意味のないことは考えられません。
そんなことはふつうしません。
ということは、ふつうしないことをする、ことになります。
そこに「差法」の秘密があります。
体の自由体操も、「ふつうしない」動きをすると良く効きます。
たとえば、「バンザイ」も日常生活ではほとんどしません。
だから、する。
すると、使っていない筋肉が動き、少しやわらかくなる。
すると、血流が増える。
すると、新陳代謝が上がり、アンチエイジングになる。
ヨガも太極拳も「変な」ポーズや動きをします。
あんなポーズや動きは「ふつうしません」。
でも、それは(比較的かんたんに)できます。
体を動かすのは頭(脳)なので「ふつうしない」動きをするなら、これは「ふつうじゃない」と認識すればいいのです。
それを、コントロールしているのはは頭ですから。
「ふつうしない」ことでも、ヨガだから、太極拳だから、と理解すればできます。
思考で肉体をコントロールできるからです。
しかし、「ふつうしない」ことを考えるとなると、それはかんたんではありません。思考で思考をコントロールしなければいけないからです。

 

「無意味」の意味

「ふつうしない」ように「思う」「考える」なんてことは「ふつう」できません。
なぜなら、そんなの無意味だからです。
しかし、それができれば、脳は一気にやわらかくなり、リラックスします。
筋肉が「物理の働き」だとすると、脳は「化学反応」です。
筋肉をやわらげるのは、ひどく錆びた機械に油を差して少しずつ動かすような働きです。
一方、脳内は「セラトニン」「メラトニン」「ドーパミン」「アドレナリン」、など、さまざまな神経伝達物質が「シュッ」っと出たらその瞬間に「パッ」と反応します。
目の前の対象について無意味なことを考える。
そんな「ふつうしない」ことをすると、思考をやわらげる神経伝達物質が脳内のどこかに「シュッ」と出て、その瞬間に脳は「スッ」っとします。
もしくは、思考を硬直させていた神経伝達物質が、その瞬間に減ります。
その瞬間に、長い間動いていなかった脳のどこかが動き始めます。
その瞬間に、ふだん使わずに凝り固まっていた脳がストレッチされます。

かつて存在した心理療法の「ネーミング法」も目的は同じでした。
「ネーミング法」では、視界に入るものにどんどん名前を付けていきます。
おそらく、目的を達せず使われなくなったのでしょう。
そりゃそうです。
そんなことできるわけありません。
「無意味」にやろうといても、名前にはどうしても「意味」がつきまといます。
「なんでもいい」と言われても、電信柱を見たら「でんたろう」と名付けてしまいます。そこには、「意味」があります。「でんたろう」の「でん」は電信柱の「電」です。この療法の開発者はおそらく、電信柱に「山田さん」とか、マンホールに「マイケル」などと名付けさせたいのでしょうが、そんなアドリブができるのは、一流のお笑い芸人さんだけです。
うつ症状があればできません。
なくてもできません。
無理にやると脳が余計に疲れます。

無意味であればあるほど脳は心地よい

「差法」は驚くほどかんたんです。
誰でもかんたんに「無意味」を「考える」ことができます。
「差法」は「目の前の対象について差を思う」だけです。
???
驚きますよね。
だから、驚くほど、って言ったじゃないですか。
ふつうはこんなこと絶対しません。

では、やってみます。
いま、私の目の前にはノートブックのパソコンがあります。
「A」と「S」という2つのキーが見えます。
そして、その「差」について思います。
〈形は同じだけど、書いてあるアルファベットがちがう〉
当たり前です。
でも、それでいいんです。
〈「S」が「A」より右にある〉
これなんか最高です。
さあ、もっと「無意味」に考えましょう。
もういちどパソコンを見ます。
〈「S」と「A」の間に溝があります〉
すばらしい!
無意味であればあるほど脳がスーーーーッとします。
「差を取って真ん中あたりを考える」
これはすべてに応用できます。
これは「差法」の「真ん中法」です。
パソコンから顔を上げ、部屋を見回します。
テレビとソファがあります。
〈カーペットの上にテレビとソファの真ん中あたりがあります〉
上出来です。
こんどは、窓の外を見ます。
木の上を鳥が飛んでいます。
鳥の飛んだ高さと木のてっぺんの差を取り、真ん中あたりを考えます。
〈空に真ん中あたりがある〉
それでいいんです。
もう一度外を見ます。
隣のマンションが見えます。
マンションの一室に窓があります。
〈窓の真ん中あたりに頭の中で線を引きます〉
これも「差法」の「真ん中法」です。
まったく意味はありません。
意味はない方がいいんです。
遠くにビルが見えます。
あのビルと自分の真ん中あたりについて考えます。
〈どこかに真ん中あたりがある〉
それだけでいいんです。
そんなのどこでもいいんです。
「差法」の「真ん中法」はただ「真ん中あたり」を思うだけです。
「差法」は見えているものすべてに応用できます。
いえ、肉眼で見えなくても「差」を取ることは可能です。
形、大きさ、太さ、厚さ、位置、だけでなく、時間、速さ、音、味、匂い、色、温度、価値、、、、なんでもいんです。
気分でも「差法」はできます。
「真ん中法」は一瞬にかんたんにできます。
娘を叱ったときに「叱る」と「叱らない」の差を取って真ん中あたりを考えます。
〈もう少しやさしく叱る〉
そこが真ん中です。
自分勝手な適当な尺度です。
すると「こんどはそうしよう」と思います。
すると、気分のコントロールができます。
(つづく)