自由体操~人生は体操だ。

心がけるだけでだるさも痛みも運動不足もぜんぶ解消

自由とは③ ~ 老化は走らない。

ホントは若返りできない

「あなたは自由ですか?」
いきなりそんなことを聞かれて、「はい、自由です!」ときっぱり答えられる人はそうはいません。

そもそも「自由ですか?」なんて聞いてくる人はどこか怪しいですし、「はい、自由です」なんて答えられる人は、このご時世に、ずいぶん能天気です。

でも、私はいま、ためらいなくこう答えることができます。

私は自由です。

「会社勤めをしてない人は気楽なもんですね」
そうおっしゃる方もいるでしょう。
その誹りは甘んじて受けます。
でも、職場の悩みがないことを差し引いても、私はやっぱり自由です。
私がいま感じているこの自由は、頭と体のやわらかさから得られています。
すなわち、精神と肉体の柔軟性です。
やわらかさは、頭と体に「広がり」を与えてくれます。
そのおかげで、気持ちは楽になり、体は軽くなります。
自由体操によって、私の心身の自由度は大きく広がりました。
感じる心の柔軟性。考える頭の柔軟性。動かす体の柔軟性。
それらがすべて改善されたため、私はいま、まるで若返った「ような」気分を味わっています。
でも、それは、あくまでも「ような」です。
実際に若返ったわけではありません。
人間はおとぎ話の中でしか若返りません。
ホントの若返りは、映画「ベンジャミン バトン 数奇な人生」のようなSFです。
私は行き過ぎていた老化現象を取り返しただけです。
40代半ばまで老化を放置したせいで、私の心と頭と身体は、年齢以上に凝り固まっていまいました。
心は狭い。頭は固い。体は重い。
私はすっかりそういう人間になっていました。
生真面目で冗談が通じない人、倹約家、貞操観念の強い人。
そういう人のことを「お堅い人」と呼びますが、私は「お固い人」でした。
そして、自分が固くなっていることに気づかずに、妻と娘と仲良く幸せに暮らしていました。
幸せな人のことを「果報者」と呼びますが、私は「阿呆者」でした。
自由体操に出会わなかったら、私は中年から老人に向かう急な下り坂を、そのまま一気に転げ落ちていたでしょう。
あのままなら、果報を寝て待ち、目が覚めたら棺桶の中、だったでしょう。

思い込みは怖い

私は91年に東京大学を卒業し、TBSに就職しました。いま思えば、鼻持ちならない、実にいやみな人間だったと思います。エリート意識が高く、非寛容で、自己中心的でした。まだ若いくせに、いえ、若いがゆえに、妙なこだわりが強く、柔軟性に欠けていたにちがいありません。
いまの自分がもしもあのままだったら、、、
そう想像するだけで赤面します。

30代前半にしてTBSを辞めた私は、ひょんなことからITベンチャーを起業することになり、やがて潰すことになりました。会社経営に失敗したのです。

好き勝手というほど奔放な半生ではありませんが、そんな人生経験をしたこともあって、自分ではわりと自由に生きてきた、と勝手に思っていました。
視野もそれなりに広く、頭もそこそこ柔軟だろうと、のんきに構えていました。
体もそうです。
私は中学から高校にかけて、アメリカンフットボールに打ち込みました。先輩方のおかげでチームが好成績を残したため、私は、自分もそこそこのアスリートだったという思い出を持って生きてきました。
あの頃と比べたら、顔のシワやシミは増えたけど、体型は「たいして」変わっていないし、体力の衰えも「たいして」感じていませんでした。
ところが、それは大間違いでした。
「あの頃」は、もう30年以上も前です。
私は30年以上の老化に気づいていませんでした。
たしかに「歳を取ったなあ」と感じることはあります。
たいして飲んでないはずなのに二日酔いがひどい、とか、海外旅行のあとの時差ボケがきつい、とか。
そんなときには、40も過ぎればこんなもんだ、と思います。
素直に「加齢」を認めます。
しかし、そんなふうに「歳」を感じるのは、年に数回の特別な出来事のときだけです。
それは、異常事態、特殊ケース、です。
異常事態や特殊ケースは、乗り切ると忘れ去られます。
喉元過ぎれば熱さを忘れる、です。
「加齢」のせいでトラブルが起きやすくなったり、症状がやや重くなったりはします。
でも、回復してしまえば、身体そのものに大きな変化はない。
元通り。
つまり、劣化していない。
そう思い込みます。
私は無意識に、自分の身体について、そのような都合のいい解釈をしていました。
私は「老化」していない。
私はそう思っていました。
しかし、そんなことはありえません。
(つづく)