老化に気づいたら、それは「アハ体験」
若い頃とそう変わっていない
それは錯覚です。
老化は「ゆっくりと、しかし着実に進行する変化」です。
テレビのクイズ番組で出題される「アハ体験」と同じです。
人体の老化は、ゆっくりと変化していて、どこが変化しているのかわかりません。
今朝の鏡に映った自分の姿は、昨日とどのくらい違うでしょう?
寝ぐせ以外に、たいした違いは見つかりません。
それもそのはず。
人生を仮に82年として換算すると、一生はおよそ3万日です。
すると、一日分の老化はわずか3万分の1の劣化になります。
いかに精密なセンサーでも3万分の1という微細な生体の変化を認識することは非常に困難です。
老化とはそれほど微かな劣化を毎日続けることです。
そうやって、私たちはゆっくりと老化した状態に慣らされていきます。
こどもの成長のように大きな変化ですら、毎日見ていると見抜くのは困難になります。
ですから、親はその変化になかなか気づけません。
1年ぶりに会った親戚が、「ずいぶん大きくなったねえ!」と言うのは、1年分のこどもの「老化」をいっぺんに見るからです。
同じように「老化」もいっぺんに見ればすぐにわかります。
何年か前の写真を見れば一目瞭然です。
親戚のおばちゃんが遠慮なく言うように、あなたも自分に言うでしょう。
「ずいぶん老けたわねえ」と。
私は1年ぶりに自分の身体に会ったわけではありません。
毎日会っている自分の老化に気づけたのは自由体操を心がけていたからです。
私はその変化に気づきました。
自由体操のおかげで生体センサーも感度を増し、頭と体が微妙にやわらかくなっていることに気づけたのです。
私たちは、やわらかくなったときに初めて、それまで「固かった」ことに気づきます。
だから、わかったのです。
固かったんだと。
老化していたんだと。
人は、自由にならなければ、不自由だったことには気づけません。
生まれたときから老化は始まっている
生物は必ず老化します(今のところ)
なのに、なぜか、私は「老化していない」と信じていました。
しかし、もちろん私は「老化」していました。
あらゆる生物は「老化」します。
「老化」は「生物における時間的変化」です。
時間が存在する限り、老化は必ず起きます。
私たちは生まれると同時に「老化」を始めます。
そう言うと、なんだかさみしいので、最近は「老化」の代わりに「加齢」や「エイジング」がよく使われます。
理屈では、赤ちゃんも少年少女も、日々「老化」しています。
しかし、それもまた違和感があるので、生育段階に応じて「発育」「成長」「成熟」「老化」と呼ぶのが一般的です。
この場合の、限定的な意味での「老化」は、人生の後半戦、死に至るまでの人体の「機能低下」や「劣化」を意味します。
本来の「老化」は「移ろい」です。
私たちにとって「老化」は、時の流れそのものです。
時間が止まらない限り、私たちは「老化」し続けます。
「老化」したくない
「老化」しにくい
そう言うことはできます。
しかし、「老化」しないとは言えません。
ましてや、「若返る」は時の流れに逆らうSF的発想です。
(そんなSF的発想もそろそろ科学的に実現されそうですが)
自分の「老化」に驚く必要はありません。
自分が「老化」していなかったら驚くべきです。
早めに病院に行ったほうがいいでしょう。
自由体操を心がけているいまも、私の体は毎日「老化」しています。
しかし、毎日の「劣化」は最低限に抑えられています。
また、「余計に老けていた」部分は、毎日少しずつ取り戻しています。
ときに人はそういうことを「若返り」と呼んだりします。
しかし、それはホントの「若返り」ではありません。
たとえば、桃井かおりさんは若返ってはいません。
若返っているのではなく、老化が最低限に抑えられているため、昔に近い状態が保たれているのです。
人はそれを「アンチエイジング(抗老化)」と呼びます。
私は、自由体操で毎日「老化し過ぎた分」を取り返しています。
これまで不摂生や運動不足が過ぎていた人ほど、自由体操で大きな「取り返し」が期待できます。
過払い金が毎日100円ずつ返還されているみたいなものです。
純粋な儲けとはちがいまし、1日当たりはわずかです。
でも、「チリツモ」です。
3年経てば10万円以上戻ってきます。
自由体操はちょうどそんな感じです。
(つづく)