自由感を得る
私は自由です。
そう感じられるのは、頭と体がやわらかくなっていくからです。
去年より今年、先月より今月、昨日より今日、やわらかくなっています。
気のせいではありません。
その変化は客観的です。
半年前よりも股関節がやわかくなっていることはお風呂掃除のしやすさでわかります。
しかし、些細です。
1年前より怒りっぽくなくなった。
先月より目覚めがよくなった。
そんなことがいくつもあります。
どれも他愛もないことばかりです。
でも、どれもが良くなっています。
人はそれを「好転」と呼びます。
他愛もない好転の集まりは、人に「自由」を感じさせます。
50代前半で日常生活の他愛もないことが「良くなっていく」
人はそれを「アンチエイジング」と呼びます。
懸命な努力もせずに頭と体がやわらかくなり、ささやかではあっても具体的なことがいくつも好転すれば、おのずと自由も感じられます。
理由もなく自由を感じていたら、のんき者ね、と揶揄されます。
しかし、そうではありません。
具体的で好ましい変化が自由をもたらしています。
小さなことがは少しずつ良くなる。
体、心、習慣。
いずれにも「良い変化」があります。
人は「良い変化」に満足を得ます。
満足感です。
それは「自由感」とも呼べます。
「自由感」は精神と肉体についての究極の「個人的感想」です。
「自由感」を高めれば個人が充実します。
自由感でパフォーマンスを上げる
「自由感」を高めて個人が充実すれば、仕事にも良い影響が出ます。
会社員もアスリートも、パフォーマンスが改善します。
仕事には不自由がつきまといますが、そんなときこそ自由感です。
社内であれ社外であれ、仕事には必ず思い通りにいかない、自由にならないことがあります。
サラリーマンでも経営者でも、ノルマ未達でも減収減益でも、頭と体をやわらかくして自由感を高めれば、解決の手がかりが見つけやすくなります。
外部環境が悪いときこそ自由感です。
精神と肉体が好転し「自由感」が高まれば、ピンチのときに自分の身を守ることができます。
社会や組織で追い詰められたとき、身を守るのに必要なものは二つあります。
ひとつは自身の健康。
もうひとつは相談相手です。
前者を得るには自由体操。
後者を得るのも方法は自由です。
あなたが選べばそれがあなたの相談相手です。
余計な気を回す必要はありません。
思い出の不自由
世の中は不自由なことばかり。
ホントは別の仕事がしたい。
子育てに時間を取られる。
欲しい服が買えない。
帰省の飛行機が満席。
恋人に束縛される。
ドライブしてたら渋滞にはまる。
思うように体重が減らない。
毎日はそんな不自由の連続です。
毎日の暮らしは、ままならないこと、好き勝手にできないこと、がまんしなければいけないことだらけです。
老いも若きも、富める人も貧しい人も、多かれ少なかれ、不自由を抱えています。
世の中、不自由ばかり。
そう感じるのも無理はありません。
私たちは、自由さや満足やうまくできたことよりも、不自由さや不満やうまくいかないことの方を、よく覚えています。
すんなり、スムースに自由に行われたことは心をすべるように、きれいさっぱり忘れ去られていきます。
とちったり、ぎくしゃくしたこと、いざこざなどは、心にぺたっと貼りついていつまでも消えません。消えてくれません。
昔のドジを思い出してひとりで赤面することなんてしょっちゅうです。
失敗や不自由は鮮烈で印象的な目立ちたがり屋です。
トゲトゲ、ザラザラ、ギザギザで心に引っかかります。
その反面、自由はさりげなく控えめで自己主張しません。
つるつる、さらさら、すべすべですぐに心から落ちていきます。
よほど強烈な喜びをともなわない限り、私たちは手に入れたそばから、その自由さをどんどん忘れていきます。
そして、二度と思い出しません。
(つづく)