自由体操~人生は体操だ。

心がけるだけでだるさも痛みも運動不足もぜんぶ解消

自由とは① ~ 自信を持って自分勝手に

自分勝手な自由


『ウィキペディア』では「自由」についてこう書かれています。

自由(じゆう、英: freedom, liberty)とは、他のものから拘束・支配を受けないで、自己自身の本性に従うことをいう。哲学用語。

シンプルで的確です。
「他のものからの拘束・支配」とは、ものごとを考える場合は、「固定観念」や「先入観」です。
それを「受けない」とは「決めつけない」ということです。
他人の意見に賛同するのも反対するのもあなたの自由です。
でも、「自己自身の本性に従う」なら、自身の中から別の答えを導き出すことこそが本当の自由だと言えます。
つまり、誰がどう言おうと、あなたがそう思うのなら、それでいい。
「自由体操」とは、この「自己自身の本性に従うこと」に他なりません。
かんたんに言うと「自分の思うとおりにする」です。
逆に言うと「他人がどう言おうと関係ない」です。
もっとかんたんに言うと、「どうでもいい」「なんでもあり」「好き勝手」「でたらめ」です。

「体の自由体操」は「好きなように動かす」
「頭の自由体操」は「勝手なことを考える」

「自分の思うとおり」は「百とおり」も「千とおり」もあります。
たくさんの自由、広い自由、自由な自由で、自由体操を心がけて参りましょう。

「固定観念」は捨てましょう。
「固定観念」は、心理療法(セラピー)で「ビリーフ」とも呼ばれます。

非理性的、非合理的、非現実的、非論理的な「固定観念」は、「イラショナル・ビリーフ」と呼ばれます。

「○○でないといけない」は捨てましょう。
「○○でなければ、生きている価値がない」

こういうひどい「イラショナル・ビリーフ」に支配された状態を「うつ症状」と言います。
自由体操は「○○でないといけない」を「××だっていいじゃないか」にする体操です。
体と頭にある頑固な「凝り塊」を解きほぐす体操です。
体なら運動不足から肉体改造まで。
頭ならうつ症状の改善にもなります。
頭の自由体操は心理療法を補う「自由療法」です。

肉体の「凝り塊」はあの番組であの人も語っていた

6年くらい前のことです。
「笑っていいとも」のテレホン・ゲストにEXILEのATSUSHIさんが出演されたときのことです。
ATSUSHIさんは、司会のタモリさんとこんなお話をされていました。

「捻挫とかするじゃないですか、小さいころ。で、いま大丈夫だと思ってても、意外に触ってみると固まってたりするんですよ」
タモリさんが言います。
「ああ、きのう松坂(桃李)くんも言ってた。むかし(中略)捻挫して、右の足首んとこがいまだにやっぱおかしいって。治らないの? あれ」

その後のお二人のやりとりを聞きながら私はなんども頷いていました。
ATSUSHIさんが語ることを、私も実感していたからです。

○ 古い捻挫などの怪我は、完治したと思っている。
○ 古い怪我は、痛みはないが意識して触ると意外に固くなっている。
○ 体は連動している。
○ 固まりは体の奥にある。
○ 固まりは無理矢理ほぐすしかない。
○ 固まりは自分でもほぐすことができる。

これらすべてを、私は実感していました。

やっぱり続かない

きっかけは、肩凝り解消でした。
私は長年、肩凝りに悩まされてきました。
肩凝りに効くことは、なんでも試してきました。

スポーツマッサージ、鍼灸、カイロプラクティック、磁気治療器、低周波治療器、マッサージ器、温熱治療器、頸椎牽引器、姿勢矯正ベルト、飲み薬、貼り薬、塗り薬、置き鍼、アロマテラピー、ヨガ、ラジオ体操、ゲッタマン体操。マウスピース。

まだまだあって、全部は書き切れません。
結論から言うと、全部ダメでした。
どれもそれなりに効きます。
少しは楽になります。
でも、どれも効き目は一時的で、根本的な解決にはなりませんでした。
「解消」は「解けて消える」と書きますが、私の肩凝りは、軽くはなっても、消えはしませんでした。

ある日のこと。

いつものようにネットで「肩凝りに効く」ものを探していた私はユニークな体操を見つけました。

それは、「ニューストレッチ⑥」というタイトルの8分くらいの動画でした。かなりの視聴回数で、投稿欄には「楽になりました」「すごい!」「気持ちいい~」など、たくさんのコメントが寄せられていました。

大いに期待した私は、さっそく試してみました。
それは、座ったままでできる体操でした。
そして、、、
あのときの衝撃はいまも忘れられません。

「これはホントに効く!」
私は、それから毎日「ニューストレッチ⑥」をしていました。
それからしばらく経ったある晴れた日のことです。

ふと気づくと、私はもう何日もあの体操をしていませんでした。

あのときの衝撃はもっと忘れられません。

「こんなことも続けられないのか!」

「やらなくちゃ」からの解放

私は娘と一緒に近所の公園に遊びに来ていました。
ベンチに座っていた私は、自転車の練習に励む娘に手を振りました。
彼女は補助輪が取れたばかりの自転車を、よろけながらも必死に乗りこなそうとしていました。
いつもなら新聞を読むところですが、このときはもちろん「あの体操」でした。
「あのとおりに体操しなくちゃ」
ベンチに座ったまま、私は体を動かし始めました。
けれども、やり方が正確に思い出せません。
この体操、動きはシンプルですが、ふつうの感覚とは逆の方向に曲げたりひねったりします。

つまり、あべこべ。後にこの「ニューストレッチ⑥」は、「あべこべ体操」という名で話題になりました。
私は「あれ? どっちだっけ?」と、なんども迷ってしまいました。
すると、「うそまじめ」な私は、「正しくできないのなら、やめよう」と思いました。そのときふと私の頭に、ある言葉が浮かびました。
「うまく乗れなくても、乗らなくちゃ上手にならないよ」
それは、自転車の練習に尻込みする娘に、私がさっき言ったせりふでした。
「うん、わかった」
それは、娘の返事であり、私の心の声でした。

「まちがっていても、やらなくちゃ凝りはほぐせない」

自分にそう言い聞かせた私は、自己流のいいかげんな「あべこべ体操」を始めました。
しばらく続けたあとで肩を触ってみると、少しやわらかくなった気がします。
娘はそのわずかな時間に、見違えるほど上手に自転車を乗りこなしていました。
こどもの成長を実感する瞬間です。
私の視線を感じた娘は、少し離れたところで自転車を止めると、誇らしげに私に向かって手を振りました。

そのとき私はまだ、肩を揉みほぐしていました。
けっこう力を込めて左手で右肩を。
私は右手を高く上げて娘に手を振り返しました。
すると、左手の指先から右肩の筋肉の動きが伝わってきました。

「凝り塊」の消滅

「あれっ?」
そのとき指先がいつもとちがう筋肉の緩和を感知しました。
筋肉の奥の方にあった小さな固まりが、その瞬間にひとつ消えました。
「なんだろう? いまのいい感じは?」
マッサージとも体操ともちがう感覚でした。
私は、肩の筋肉を揉みほぐしながら、肩の筋肉を動かしていました。
つまり、セルフマッサージと体操を同時に行っていたわけです。
これが、自由セルフマッサージの誕生の瞬間です。
「あべこべ体操」の代わりにやっていた自己流で適当な体操をしながら、動かしているところをいいかげんに押していただけです。
だれに習ったわけでもありません。
こんなのだれでもできます。
いくらでもできます。
だって、なんでもいいんですから。
「なんでもいいんだ」と思った瞬間、「やらなくちゃ」は消えてなくなりました。

(つづく)