自由体操~人生100年時代の今日「始めない」すごい健康法

心がけるだけでだるさも痛みも運動不足もぜんぶ解消

頭の自由体操「人生の差法」⑤【補足】 ~ 人生は「疑問」と「解消」の連続

脳は「わからない」が大嫌い


「わからない」という心理状態はそれ自体がストレスとして認識されます。
「わからない」という「疑問」が溜まりすぎるとうつ症状になります。
逆に、うつ症状になると、日常のほとんどすべてが「わからない」状態になります。
こどものお勉強で「質問がある人いますか?」と聞かれても「なにを質問すればいいかわからない」状態です。
「わからない」=「疑問」は、いくつかの段階に分かれていることが「わかります」。

「疑問」には大きく分けて3つの段階があります。
そして、その「解消」にはつねに2つの手段があります。

「疑問(Doubt) 」は次の3つに分けられます。

D1.漠然とした疑問  
→ D2.具体的な疑問
→ →D3.比較によるさらに具体的な疑問

「解消〈Reduction〉」には次の2つの手段があります。

R1.容認による解消
R2.解決による解消

 

「暗い部屋」の例え

疑問と解消は、あなたの人生にこんなふうに現れます、
D1.漠然とした疑問
あなたは暗い部屋の中にいます。
足もとになにか落ちていますが、暗くてなにかわかりません。

疑問「足下にはなにがある?」

解消
R1.(容認)「足下になにかあるけど、気にせず部屋を出る」
R2.(解決)「部屋のライトをつけると、足下には本が落ちていた」

→(新たな疑問)
D2.具体的な疑問
あなたは部屋のライトをつけました。
部屋は散らかっていました。床には本が何冊も落ちていました。

疑問「本はなせ散らかっているのか?」

解消
R1.(容認)「本がなぜ散らかっているかわからないが、気にせず部屋を出る」
R2.(解決)「理由を妻に聞く」

→(新たな疑問)
D3.比較によるさらに具体的な疑問
妻に聞くと、本は子供が散らかしたのだという。
疑問「本を片づけるか、そのままにするか?」

解消
R1.(容認)「本は片づけず、ライトを消して部屋を出る」
R2.(解決)「本を片づけて、ライトを消して部屋を出る」

 

人生は「部屋」の出入り

「疑問」のどの段階で、どの「解消」を選択しても、結局あなたは「暗い部屋を出る」ことになります。
そして、あなたがどの「解消」を選択しても、結局「暗い部屋」はそこに残されます。
部屋の中が片付いていてもいなくても、あなたはその部屋を出て次の部屋に向かいます。

人生はそんな「部屋」の出入りの連続です。
「暗い部屋」は過去であり、現在であり、また未来でもあります。
突き詰めると、人生とはそれだけです。
「部屋」に入っては、疑問と解消を繰り返すだけです。
容認しても解決しても、「部屋」を出ることになります。

一生同じ部屋に居ることはなく、いくつかの、あるいは、いくつもの、部屋を出入りします。
そうやって人生は過ぎていきます。

うつ症状があれば、他人から「容認」を勧められることが多くなります。
(おそらく、容認がよい結果を生むでしょう)

健康で行動的なら、自分から「解決」を選択することが多くなります。
(解決が最善策かどうかはわかりませんが)

 

人生のちがいは、足を踏み入れた「部屋数」のちがいです。

 

過去の「部屋数」の多さを誇る人もいるでしょう。
思い出に浸るのも、悪いことではありません。
しかし、過去の部屋はすべて過去です。
しかも、本人にとって過去だというだけです。
ある人間の過去などというものは、他人にからすれば「無」に等しいです。

私たちは現在という「部屋」でしか、他人との繋がりを持ちません。

現在という「部屋」にある「疑問」に向き合い、なんらかの「解消」を得る。
それが「生きる」ということです。

人生は長い。

しかし、なにかをできるのは「現在」だけです。
どうせ「生きる」のなら、なにかを「する」です。
してもしなくても、時間は全人類に平等に流れていきます。


「疑問」=「わからない」ことだらけの毎日です。
「解消」すべきことが山積みです。

そんな毎日、毎時間に、脳みそが凝ったら「差法」です。
真ん中法です。
「差を取って真ん中あたり」を思う。
それだけです。
「差法」は瞬間的「自問自答」です。
「真ん中はどこ?」の「疑問」に「真ん中はこのへん」という「解決」を与えると、脳内には極小な「幸せ」刺激が生まれます。

「認知の体操」で思考の凝りをほぐしましょう。

 

(お読みくださりありがとうございました。「人生の差法」は今回でいったん完結します。次回より「自由とは」を連載する予定です)