自由体操~人生は体操だ。

心がけるだけでだるさも痛みも運動不足もぜんぶ解消

自由とは② ~ 自由になったら不自由になった!?

日本人の8割が運動不足

いつでも、どこでも、どんなふうにでも、体のどこでも、少しでも、自由に動かす。
私はそう心がけています。
この「心がけ」はホントによく効きます。
心がけていたらいつのまにか、私の体は別人のように軽くなりました。
身体の自由度は格段にアップし、体調はこれまでになく好調です。
なんとなく心がけているだけです。
努力も時間も我慢もお金も不要です。


「始めなきゃ」

「用意しなきゃ」

「行かなくちゃ」

「買わなくちゃ」

「曲げなきゃ」

「伸ばさなきゃ」

「数えなくちゃ」

「止めなくちゃ」


そんなこといちいち考えていたら、とても続けられやしません。
よけいなことをいっさい考えずに続けられる「体操」という名の心がけ――
それが「自由体操」です。
体操?
いえいえ、ただ好き勝手に体を動かすだけです。

「からだ、動かしていますか?」
ヨーグルトのCMではありません。
現代日本人にこの質問をすると、8割以上の人が「いいえ」と答えます。
「いいえ」と答える人はみなさん運動不足を感じています。
そんなみなさんも毎日体を動かしてはいるのです。
日常生活とは体を動かす活動によって成り立っています。
ところがです。
現代社会では、家電製品の進歩や交通手段の発達のせいで、家事と移動というせっかくの運動機会がどんどん失われています。
洗濯はもちろん、皿洗いや掃除や歯磨きも電動です。

1950年頃まで、日本に運動不足はなかった

江戸時代にタイムスリップすれば、、、
ベッドはありません。
朝起きてまず布団を上げることから家事は始まります。
顔を洗うにも口をゆすぐにも川や井戸から水を汲んでおかなければなりません。
白飯を炊くならかまどの火起こしです。
火を起こすには、柴を刈ったり、薪割りしたりしなければいけません。
ことほど左様に、なにをするにも、現代より手間がかかります。
そのぶん現代よりたくさん体を動かしていました。

そして、移動は基本的に徒歩です。
籠や馬もありますが、庶民に無縁です。
どこに行くのもすべて歩きです。
旅行ともなると、一日にフルマラソンくらいの距離を歩くのが庶民の平均だったようです。
仕事は、侍なら武芸の稽古、農民は畑仕事、鍛冶屋は鉄を打ち、大工はかんなを削り、商人は配達にご用聞き。
士農工商だれもが日常生活の中で充分に体を動かしていました。

江戸時代が終わっても、明治も大正も、人々は体を動かしていました。
やがて昭和になり、皮肉なことに、東京オリンピックの頃に初めて新聞が「運動不足病」という言葉を使いました。
家電製品が一般大衆にまで普及し、交通網が整備され、マイカーが普及してきたからです。

20世紀の半ばに突然、日本人は体を動かさなくてよくなりました。

省労力?
省時間?

失われた日常動作を求めて、人々はプールやジムやヨガスタジオやボクシングジムや、、、とにかく、さまざまな「運動」をするため、労力と時間と金銭を費やすようになりました。
私たちは、家事や移動の苦労から自由になろうとして、足りなくなった運動量を補わざるを得なくなりました。
私たちはいま、「運動しなければいけない」という不自由に縛られています。
(つづく)