「良心」は善意ではなく
思考する自由は「精神の自由」
体を動かす自由は「身体の(または、人身の)自由」
この二つの自由は、人間にとって最も身近であり、最も重要な自由です。
この二つの自由は、日本国憲法における基本的人権です。
日本国憲法第3章第19条にはこうあります。
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない
つまり、「なにを考えてもいい」ということです。
ここでいう「良心」とは、良い心=まごころ=善意、ではなく、良い心=わきまえ=判断、です。これは、英文を訳す際に生じた表現のズレです。憲法制定の際、GHQ草案の「 Freedom of thought and conscience 」は、一般的な「良心」と訳されました。しかし、草案の「 conscience(コンシャンス) 」には、「理性的判断」という意味もあります。つまり、「思想及び良心の自由」は「考えて決める自由」です。
なにを考えようと、どんな夢を描こうと、それは個人の自由です。
なおかつ、その夢に向かってなにを行おうと、それも個人の自由です。
やりたいことやったもん勝ち
日本国憲法には「幸福追求権」という規定もあります。
言葉のとおり「しあわせを求める自由」を保障するものです。
ただし、この権利には「公共の福祉に反しない限り」という条件が付きます。
法律違反にならず、他者の権利を害さないなら、「やりたいことをやっていい」と解釈されます。
このように行動の自由は「制限付き」です。
考えるのは一人でする行為ですが、行動すれば他人との関わりが生まれるからです。
「いまでしょ」の林修先生は子供の頃、「みんなで一緒に考えましょう」と先生に言われたとき、「話し合うことはみんなで一緒にできるけど、考えることは一人でしかできません」と答えたそうです。
「やりたいことをやる自由」は、「人身の自由」によっても保障されています。
日本国憲法第3章第18条にはこうあります。
何人(なんびと)も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因(よ)る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。
つまり、誰も肉体的な自由を奪われない。
行動、行為、活動の自由は保障されている。
これが「やりたいことをやる自由」です。
一方、「犯罪による処罰の場合を除いて」は、裏を返せば「犯罪を犯せばその自由を奪われる」ことを規定します。
この「処罰」とは、刑務所にいなければいけない「禁固刑」や、刑務所で働かなければいけない「懲役刑」のことです。
このような刑罰は、受刑者の「行きたいところに行く自由」や「やりたいことをやる自由」を拘束するため「自由刑」と呼ばれます。
罰金刑はお金を納めますが、禁固刑や懲役刑は自由を収めなければなりません。
もしも、あなたが自由なら
世界には、自由の限られた国、不自由な国はたくさんあります。
でも、日本はたくさんの自由が保障されている国です。
現代の日本では「憲法」によって、たくさんの自由が保障されています。
なにを信じるのも、
なにを学ぶのも、
どんな職業に就くのも、
どこに住むのも、
外国に住むのも、
外国人になるのも、
自由です。
せっかくこんなに自由な国で暮らしているのですから、自由を存分に使いこなさなければもったいないです。
自由なら、もっと自由に。
(長い連載を最後までお読み頂きありがとうございました)